≫ 怪談読み放題はコチラから ≪

いま、再び話題に上った呪いのコトリバコ。その作り方から考察まで

2月5日に清水祟によるホラー映画、「樹海村」が公開されました。

人気映画「」を作った監督ですね。

作品自体は見ていないのですが、作中でどうやら「コトリバコ」がフューチャーされているとの情報をキャッチしたので、今回はそのコトリバコについて書いてみたいと思います。

しかしこの人、名前に「祟」が入っててホラー映画を作ってるってもはや天職ですよね。

コトリバコってなに?

ご存知の方も多いかと思いますが、コトリバコとは2ちゃんねるに投稿された怖い話で、都市伝説の類のものです。どうやら検索してはいけない言葉なんとも言われているみたいですね。
ジャンルとしては呪い系の話で、幽霊そのものは出てきません

私はリアルタイムでその書き込みを読むことは出来ませんでしたが、投稿された2005年はとても人気だったらしく、冒頭でお話しした「樹海村」以外でも過去に映像化されていたようです。

オカうさ
オカうさ

ただその作品の面白さについては責任持たないからね。

オカルト界隈では有名な話で、転載が転載を呼んで今でも探せば簡単に原文も読むことが出来るはずです。

ネット発祥ということで信憑性にはかなりの疑問があるにも関わらず、こうして多くの人々を魅了し続けるのはやはりその話の生々しさと、「なんかそういう呪いって本当にありそうだよね」ってなんとなく思えてしまうような雰囲気が我が国ニッポンにはある気がします。丑の刻参りとか。

コトリバコの概要

それではここからはこのコトリバコをもっと深く知っていきましょう。

あらすじ

まずはコトリバコの簡単なあらすじをお話しさせて頂きます。

ある日、Sは解体を予定している納屋から20cm四方の木箱を発見してしまう。
寄木細工のような物だったそうだ。

何も知らないSは友人との遊び場にソレを持ち込んでしまうが、神職家系のMはソレを「コトリバコ」と呼び、とても禍々しい物なのだとひどく怯え始める。

聞けば人を呪う為の道具なのだと言う。


想定外の事態にSを始め、居合せた一同は実感が湧かずにいたが、Mの尋常ではない動揺ぶりからソレがとんでもない代物なのではと悟り出す。


結局、Mは半ベソをかきながらも実家の神職に就く父親に連絡を取り、助けを借りながらも祓いの儀式めいたものを始める。

特徴

あらすじにもある通り、このコトリバコ、それ自体が人を呪う為の道具となっており、とても禍々しい物だそうです。
実際に書かれている話の中では、Mが途中で嘔吐する描写まで含まれていました。恐らくそれくらいの物凄い圧のような物があるということなのでしょう。
別のシーンで箱の中身は「けっこうな数の人差し指とへその緒」だとも明かされていましたから、そのような圧もありそうです…。

また、お気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、このコトリバコ、作中でも「本当かどうかは不明」としながらもMは「子取り箱」だと話しています。

そんなコトリバコについては他にも以下の特徴が挙げられています。

  • 話の舞台は島根県
  • 子どもと、子どもを産める女性にしかその効果を発揮しない(閉経している女性には無害)
  • 直接触れずにいてもその周囲にいるだけで効果がある
  • 後述する作り方によってその呼び名は異なり、「イッポウ」「ニホウ」「サンポウ」「シホウ」「ゴホウ」「ロッポウ」「チッポウ」「ハッカイ」などのバリエーションがある。作中ではイッポウ=一封、ニホウ=ニ封・・・ハッカイ=八開なのではないかと推測されている。
  • 呪いの力が強いため、役目を終えたコトリバコは数十年単位の時間をかけて放置することによって、ゆっくりとその力を薄めていかなければならない。
  • 特定の個人が長く管理し続けると呪いの悪影響が及ぶ可能性があるので、複数の家が持ち回りで管理すること。

効果

その呪いを受けてしまった場合は「何故か」内臓が千切れていき、血反吐を吐きながら絶命するそうです。

作り方

ここではそんなコトリバコの作り方をご紹介します。
真似するにはちょいとばかしハードルが高そうです。

  1. 簡単に開けられないよう、複雑に合わさった木箱を作る
  2. その中を雌の畜生の血で満たし一週間待つ
  3. 間引いた子供の身体の一部を入れる※
  4. 呪う対象に渡す

※箱の中に入れた子供の数で箱の呼び方は変わる。一人でイッポウ、二人でニホウ、三人でサンポウ、四人でシッポウ、五人でゴホウ、六人でロッポウ、七人でチッポウだとされる。

作成時の注意点
  • 呪いの対象者を恨むよう子供たちに言いながら間引く
  • 管理の際は女子供を近づかせない
  • 必ず箱暗く、湿った場所に安置すること
  • どうしても手に余るようなら寺ではなく〇を祀る神社を頼ること

作成された背景

ではそもそもなぜ、そんな物騒な物が産み出されてしまったのか?
作中では以下のように語られていました。

隠岐の反乱が起きた時の話だそうです。

隠岐騒動(おきそうどう)は、明治元年(1868年)に松江藩が実効支配していた隠岐国で起こった騒動。松江藩の郡代を追放して80日間にわたり島民による自治が行われた[1]雲藩騒動ともいわれる。

引用:Wikipedia

ある被差別地域に一人の男が逃げてきました。
その男は反乱を起こした勢力の人間でした。
反乱に失敗し、命を狙われこの地域に迷い込んできたのです。

被差別地域の村人たちはそんな厄介の種であるその男を始末しようと考えました。
ただでさえ毎日の暮らしが大変なのに、これ以上の面倒はご免だと考えたのでしょう。御上に対して反乱を起こした人間を匿っているなんて噂が流れたらもっと迫害されることになりかねません。

するとその男は「命を助けてくれたら、お前たちに武器をやる」と言って、取引を持ちかけました。

お察しの通り、そのくれた武器がコトリバコの作り方だったのです。

村人たちはその条件を飲んで、コトリバコの製作を決めました。
武器を使う相手はもちろん、その地域を差別していた権力者である庄屋でした。

早速作られたコトリバコは住民からの気持ち、誠意の印という形で庄屋の家に献上されました。
呪いの品物だとは知らずに受け取った庄屋の家はわずか二週間足らずの間に女1人と子供15人を犠牲にしたとのこと。「ひどい有様だったらしい」そうです。

そして村人たちはこの惨劇をもって周囲の地域の者たちに伝えたという。

「今後一切この地域に関わらず放っておいてほしい。もし今回の件で報復をしようとすれば呪いを再び振りまくし、条件を飲んで放っておいてさえくれるのならば、今までの事は許すことはできないがこれ以上の被害は出さない」と。

これがコトリバコの作成された背景でした。

スポンサーリンク

考察

武器としての価値

この呪われた箱を以上の作成背景から考えるに、逃れてきた男の言葉通り「武器」としての側面が強かったのではと思います。(少なくともMの納屋から出てきた箱については)

なぜなら単純に恨みの感情だけならば、上記の庄屋にだけ送って手打ちにしたことの説明がつかないからです。

もちろん作成に必要な子供の数が地域に足りないなどの原因があったかもしれません。
ですが他の呪い候補者達にはそれを知る由もありませんし、報復を今まで自分たちを苦しめてきた全員を対象にする方が自然なように感じます。

しかしながらそういったやり方をあえて避けてこのような展開に落とし込んだ事には、かなり計算が入っているように感じられました
恨みを晴らすという一瞬の爽快感よりも、「今後差別を受けることなく普通に暮らしたい」という利益を優先する姿勢が伺えたのです。

いくら強力な呪いだとしても他勢に無勢。報復が続いたら最終的に負けてしまう。だとしたらこの手持ちのカードをどう使うのが一番賢いのか、、
そんな計算が私には感じられました。

現代でいうと孤立した国の「核ミサイル」のような物でしょうか。自国の要求を国際社会に働きかける為にミサイルをチラつかせる・・。

だとしたら「武器」という表現はピッタリだと感じます。

コトリバコの本当の恐ろしさ

子取り箱の「取り」は十中八九、命を取る(奪う)ことの表現でしょう。

そして子どもを産める女性と子どもにその威力を発揮するのはやはり家を潰すという目的があっての事なのだと考えられます。
家を継ぐ跡取りがいなければ家系は途絶えてしまいますからね。
根絶やし一歩手前です。

今でこそ家系の存亡を気にすることはあまり無くなってきたように感じます。生涯を未婚で過ごしたり、選択的に子供を持たないという方も増えてきました。
田舎の旧家なんか行くと分かりませんが、少なくとも東京で生まれ育った私の環境ではそういう雰囲気が流れています。

ですが昔は物凄く「血の流れが途絶える」(=家が潰れる)ことが恐れられていたといいます。
根絶やしという表現はそういった恐れを的確に突いたものなのでしょう。

跡取りが産まれず、ご先祖様から代々受け継いできた家や土地を失う、、
名家なんて呼ばれる家ほど、これが怖かったのではないでしょうか。

恨む本人に直接降りかかるわけではなく、その家の跡取り、ひいては血筋全体に威力を発揮する。
そういう意味でこの呪いは陰湿で「エグい」と感じました。

まとめ

今回のコトリバコはいかがでしたでしょうか。

オカうさ
オカうさ

「頭を洗っている時に振り返ってしまう」ような迫る恐怖はなかったけど、イヤーな後味が残っちゃった。

これと全く同じようなモノがこの世に実在するのかはわかりませんが、もしかしたら似たような効果を持つモノが何処かに存在するのかもしれません。
だとしたらそれはどんな目的で作られたものなのか?
いずれにせよ救いのないストーリーが裏にはあるのだろうと思います。

どこかのユーチューバーが「作ってみた」動画を出せないくらいハードルの高い作り方だったことだけが、唯一の救いでしょうか。