こんばんは。
先日「鬼」についての話を書きましたが、その中で「酒呑童子(しゅてんどうじ)」という鬼の伝説を少しだけご紹介させて頂きました。
この酒呑童子、名前は知っていたのですが伝説の内容について詳しく調べたのはこの時が初めてで、私はこの時とても面白い話だと素直に感動してしまいました。
鬼の記事のメインは酒呑童子ではなかったためサクッと触れるだけにとどまってしまったのですが、やはりそれじゃ勿体ないと。

得た知識のシェアも兼ねて、今日は酒呑童子についてお話させて頂きたいと思います。
まだみなさんこの段階では私と温度差があることだと思いますので、まずは酒呑童子にまつわる伝説を先にご紹介したいと思います。
尚、童子の伝承にはさまざまなパターンがあり、話の大まかな設定は変わらないものの、細部に様々な違いがあるようです。
が、ここではよりオカルチックで私好みのものを選ばせて頂きましたことを予めご了承ください。

異論は認めません
ちなみに読めない漢字があると人は読むのを苦痛に感じてしまうものなので(私がそうです)、きっちりと覚えてください。「しゅてんどうじ」です。
ちなみにそれと同じ原理で、年代とか詳しすぎるデータを出されても飽きます。
それでは伝説からご覧ください。
酒呑童子にまつわる伝説
時は平安時代。
貴族の若い娘たちが、ある鬼によって神隠しに遭う事件が多発していた。
妖の術をも操ると恐れられていたその鬼は自らを「酒呑童子」と名乗り、度々都に出向いては貴族の財宝を奪い、その家の女までさらって行くというのだ。
さらわれた女たちは鬼の住処に連れて行かれると給仕をさせられた挙句にその肉を食べられたり血を飲まれたりするらしく、未だかつて誰1人として帰って来た者はいなかった。
そんな恐ろしい話が広がるので人々は混乱し、都には不安が疫病のように広がっていった。
困り果てた帝(みかど)が陰陽師である安倍晴明にその鬼の行方を占わせたところ、京都と丹波の間にある山の中にその鬼が住み着いていることが分かった。
早速、帝は腕が立つことで有名な「源頼光(みなもとのよりみつ)」にその鬼を退治するよう命を下した。
頼光はこの鬼を確実に討伐するために策を練り、まず武士だということが悟られぬように山伏の姿に変装することにした。
さらに、目立たぬよう腕の立つ家来5人だけをお供に引き連れることにして、遂に大江山へと出発した。
山の中をしばらく進むと頼光たちは鬼の住む城を見つけた。
頼光は城を訪ね、山の中で道に迷った山伏のふりをして一夜の宿を頼む。
様々な詰問にあいながらも疑いを晴らした頼光は、礼とばかりに持参した酒を振る舞う。
それこそが神より授かった、「鬼が飲むと身動きが取れなくなる」効果を持つと言われる「神変鬼毒酒(じんぺんきどくしゅ)」であった。
そんな毒酒とも知らず、まんまとその酒を飲んでしまった酒呑童子とその手下たち。頼光たちの事はそっちのけで、次々と眠りについてしまった。
それを見た頼光たち。
この機を待っていたとばかりに隠し持っていた鎧や刀を取り出し、身支度を整えた。
眠りにつく酒呑童子の枕元に立つと身体を押さえつけ、一気にその首に刀を振り落とした。
流石の酒呑童子と言えど、毒の回った身体で寝首をかかれてはひとたまりもなかった。酒呑童子の首は見事、その胴体から斬り落とされてしまった。
だがそこは腐っても鬼の大将。
酒呑童子は斬り落とされた首だけになりながらも宙を舞い、鬼火を吐きながら頼光に噛み付こうとしてきたのだ。
頼光はこれを兜で防ぎ難を逃れ、遂に酒呑童子は力尽きた。
この時、酒呑童子の首は「鬼神にわうどうなき物をと」と頼光のことを罵ったという。
見事、鬼を成敗してさらわれた娘たちも取り戻した頼光一行。
帝に討伐の証を見せるため酒呑童子の首を持ち帰っていたが、道の途中で地蔵尊から「不浄なものを帝の聖地である都に持ち込むな」と信託を受けてしまう。
すると、なんと先ほどまで持ち運んでいた首は突如として重くなり、そこからどうやっても持ち上がらなくなってしまった。
仕方がないのでその場で首を埋葬して葬ることにした。
酒呑童子とは
さて、では改めてこの酒呑童子について掘り下げていきたいと思います。
繰り返しになってしまいますが、酒呑童子と書いて「しゅてんどうじ」と読みます。
既にお伝えのように、こいつは平安時代に京の都を荒らし回った鬼の名前で、九尾の狐、大天狗(崇徳天皇)に並んで日本三大妖怪なんかとも言われています。
名前の由来は大酒飲みで、子供のような散切り頭をしていたからとのこと。
なんとなくこれでそれらしく成り立っているので幸運でしたが、「長髪下戸」とかだったら有吉が付けたあだ名なのではと疑ってしまうところでした。

妖怪感はなぜか増しますね
ただ、そんな髪型とは裏腹にその外見は異形そのものだったようで、身の丈2丈、角が5本、目玉が15個もあったとする説もあります。
2丈というとあまり馴染みがありませんが、現代で言えばこれは約6mに相当するそうです。
これは伝承によっては存在しない特徴でもあるらしいのですが、それだけの巨体であるなら髪型なんかよりもこちらの方を名前に入れそうな気もしますね。
ちなみに6mと言えばマンションの2階分にもなるそうです。
また、童子が残した「鬼神にわうどうなきものをと」の辞世の句。
意味は「俺たち鬼は卑怯なまねをしなかったのに!」だそうです。
たしかに身分を隠した上で潜り込み、毒を飲ませて寝首をかいた頼光は童子からしたら卑怯者に写ったのかもしれませんが、自らの悪行を考えれば相手に漢気を望む方が図々しいでしょう。
生い立ち
童子は宴会の最中に気を良くしたのか、自らの生い立ちについて語り始めたそうです。
伝承によってその場で語られた生い立ちについては分かれていますが、1つではヤマタノオロチの子どもだと語ったとされています。
ヤマタノオロチと言えば日本神話に登場する大蛇で、ゲームのキャラクターなんかでも度々登場するアレですね。
そんな親を持つ童子ですからポテンシャルは相当なもののはずですが、かつては人間だったそうです。
が、お祭の際に被った鬼の面が外せなくなってしまい、そのまま鬼となってしまったそうです。

お面に吸い込まれる、取り憑かれるという話は怪談界では聞く話で、昔っからそういったものにはそういった力が宿るのかなと思ってしまいました。
もう1つの伝承ではこんな生い立ちだそうです。
童子は母親のお腹の中に3年間も留まり続けた末に産まれた子どもであり、その時につけられた名前は外道丸(げどうまる)だそうです。
3年間もお腹の中にいたわけですから、母親としてはとんでもない難産で、苦労してやっと産まれた子ということになります。
が、外道丸は今の鬼の見た目からは想像も出来ないほどの美貌を持っていたこと、そしてそれとは対照的に手のつけられない暴れん坊だったことから、お寺に稚児(ちご)として出されてしまったそうです。
この稚児という言葉、少し調べてみました。
私は「素行が悪いのでお寺で修行させる」くらいの意味かと考えていたのですが、どうやら男色の意味合いが強いようです。
というのも寺院の修行場である山間部は女人禁制であり、稚児はそんな環境での女性の代替品、女性的な存在の意味合いを持っていたのだそうです。
だとすれば並外れた美貌を持つ外道丸(童子)はうってつけだったのかもしれません。
話を戻しますが、稚児に出された外道丸。
気質は大分おとなしくなったそうですが、その美貌から多くの異性を惹きつけたそうです。
ですがある日、そんな外道丸に恋をした女たちが次々と死ぬという不穏な噂が立つようになります。
焦った外道丸が今まで送られてきた恋文を燃やそうとしたところ、そこから瘴気とも思えるような煙が立ち込めてきて外道丸を鬼に変えてしまったそうです。
鬼となった外道丸はその後程なくして大江山へ移り住み、酒呑童子と名乗るようになったのだとか。
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酒呑童子の現在
何百年も前に死んだ鬼に対して現在もなにも無いようにも思えますが、彼はまだ人々に対する影響力を持っているようです。
というのも、老ノ坂峠にある首塚大明神に祀られ、21世紀の今となってもまだ人々に畏敬の念を抱かれ続けているからです。
こんな伝説を持つ鬼が祀られる神社の影響と聞くと、一体どんな祟りかとワクワク案じてしまいますが、意外なことに首から上の病気を治してくれるという霊剣あらたかなものだそうです。
というのも、一説によれば酒呑童子は死に際に今までの罪を悔い、死後は首から上に病気を持つ人々を助けることを望んだのだとか…。
私としてはあの辞世の句(「鬼でさえそんな卑怯なマネはしなかったのに!」)を残したすぐあとに改心するものか甚だ疑問なのですが、人々の篤い信仰があるのは事実なようです。
残念ながら現地に行くことは今現在できておりませんが、いつか行くことが出来ればなと思います。
その正体は?
正体に関する話は前回の鬼に関する記事でもしたのですが、追加情報もあるので改めてお話しさせて頂きます。
鬼である以外に童子の正体とされているのは以下の2つです。
盗賊説
酒呑童子の正体は鬼ではなく単なる盗賊だったとする説です。
というのも、平安時代に鬼という言葉は妖怪ではなく、王権を脅かす存在にあてられることが多かったそうです。
鬼の概念が現代と全く同じわけではないのですね。
ただ、そうは言ってもこれは現代の「鬼なんているわけがない」という価値観から出発して行き着いた考えに過ぎません。
確かに酒呑童子は盗賊だったかもしれませんが、「人間の盗賊」だったかどうかまでは分からないなと私としては思っています。
白人説
この酒呑童子が白人、さらに言えば漂着したドイツ人で、本名が「シュタイン・ドッチ」だったとする説もあります。
もちろん真相は分かりませんが、もっともらしい説に聞こえてしまいます。
「シュタイン・ドッチ」なんて名前、いかにもドイツ人名らしく聞こえますし、「しゅてんどうじ」に聞こえなくもなさそうです。
当時の日本人の平均身長は今よりもずっと低く、男性でも約160cmほどだったそうです。
ドイツ人の平均身長までは分かりませんが、体格も含め、恐らく人間とは思えないほどの大男に思えたに違いありません。
また、今と違って異人種を見る機会なんて無かったでしょうから、生まれて初めて白人を見た人たちがそう考えたとしても不思議ではないかなと思います。
ちなみに、その説によれば生き血を飲んでいると思っていたものが実は赤ブドウ酒だったそうですよ。

ただ話が上手くできすぎていて正直、後付け感は否めないかなと思ってしまいました。
拐われた娘たちもどうしたのかなと思いますし、結局人種がどうあれ悪人は悪人だったのではということになります。
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考察・思ったこと
考察というほどのものではないのですが、陰謀論を信奉する私が思ったのは、、
果たして地蔵尊の信託は本当にあったのか?ということです。
先述のようにこの酒呑童子伝説には様々なバリエーションがあります。
その伝承によって変わる話の一つが、この斬り落とされた首の行方なんですね
首は民たちに晒された後、宝蔵におさめられたとする説もあります。

ということはまだ童子の首はそこに…?
ただ、この「埋められた首の上に大明神を建てた」説に限って言えば、私はある疑問が残るんですよ。
というのも、もともと都に自由に出入りしては強盗を働いていた鬼ですよ。
首だけになった途端、いきなり「不浄なもの」に早変わりし都への出入りを禁ずるのは今更感があります。
人の血をすするような男ですから生前も十分不浄だったのではと思いますし、地蔵尊にそんな力があるのならばもっと前に童子の前へ現れていたのではと思うのですよ私は。
話の都合が良いのでは?と感じてしまったんですね。
では、もし地蔵尊の「首を都に持ち込むな」という信託が実際には無かったのだとしたら、頼光は一体何のためにそんな証言をしたのでしょう?

ひょっとすると、童子と頼光の間に何かしらの取引があったのではないでしょうか。
具体的には、「見逃してくれれば、奪った宝物を分けてやる。どちらも怪我をせずに済むぞ。」といったような。
要は、童子の首などはじめから無かったのではないのでしょうか。
こうすれば童子自身は助かりますし、死んだことになれば今後追われることもなくなります。
頼光からしても苦労せずに手柄を手に入れることができる上、宝物まで手に入れることが出来ます。
さらに言えば戦闘を避けることによって命を懸ける必要すらなくなります。
伝説にイチャモンをつけるという大陰謀論とはなってしまいますが、仮にそうであれば童子はこの時に死をまぬがれたことになりますよね。
そして、元々3年間も母胎にいたような大妖怪ですよ…。
もしかして今も日本の何処かの山中でひっそりと生きながらえ、観光客を襲ったりなんかしているかもしれません。
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まとめ
以上、本日は酒呑童子に関する伝説をご紹介させて頂きました。
最後の「考察・思ったこと」では思い切って陰謀論を持ち出してみましたが、こういう邪推ができるのが伝説の良い部分だと思います。誰にも怒られませんし。
なんにせよ、源頼光という人物は歴史的に実在したとされており、実在した人物が鬼を退治したとされているのが非常に面白いですね。
また、伝承の中でも娘たちがいなくなることを「神隠し」だと表現していました。
「神隠し」については先日記事を書きましたが、この時から1000年以上経った今でもその概念が引き継がれているのは凄く興味深いですよね。

最後に雑学ではありますが、童子の住んだ大江山は現在の京都府福知山市大江町で、他にも3つの鬼伝説が残っているそうですよ。
やはり古くからの街にはそういう話があるものなんですね。
羨ましいですけど、移住先としては少し恐ろしいかなと思ってしまいました。
それではまた。
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