こんばんは。
今日は先日「昭和の時代を賑わせた都市伝説」の記事でも少し触れた、昭和のアイドル・口裂け女について掘り下げていこうかと思います。

口裂け女、この字面を見るだけでもなんか嫌なもんです。絶対に禍々しいじゃないですか。
これだけ短期間でコイツのことばっかり考えてると本当に来ちゃいそうで恐ろしいです。
口裂け女とは?
さて、口裂け女とは以前もご紹介したように、主に昭和時代にその存在が噂された都市伝説です。
特徴としては、
- 「私、綺麗?」と尋ねてくるところから始まる
- 100mを6秒で走る
- 三姉妹であり全員口が裂けている。
- 上記の“三姉妹”にも共通することであるが、何故か“三”に由来があり、出現先も「三軒茶屋」などに多く現れるという。
- メスやハサミ、包丁などののっぴきならない武器を携帯しており、斬りつけてくる。
- 口が裂けた理由としては整形手術による失敗である。
- また、その時執刀した医師がポマード臭かったことからポマードのニオイが苦手だとされている。
が挙げられます。
事の始まり・目撃談
事の始まりは1978年、岐阜県加茂郡八百津町のこと。
農家のお婆ちゃんが自宅の庭に、口が耳まで裂けた女が立っているのを見たという噂が広がったそうです。

どんな噂よりもシンプルにそれが1番怖い気がする…
当時はもちろんスマホやネットなどがない時代。世界が今ほど近くなかった時代でした。にも関わらずその噂は人の口コミの力で、次々と伝播していったといいます。
1979年1月に岐阜県のローカル新聞・岐阜日日新聞がその話を新聞に掲載したものの、その時点では既に岐阜のみならず愛知県にまで伝わっており、やはりメインの媒体が人々の口コミだったことが分かります。
その主な口コミの場は学校と塾だったそうです。
当時、子どもたちの塾通いが主流になりつつある時代でした。塾には色々な学区からの子どもたちが集まります。
それまで学区を離れて伝わる事のなかった噂が、塾の出現によってより広く伝播するようになったのですね。
そして子どもたちが噂するその話を親や教師といった大人が信じてしまい、警察への不審者情報の問い合わせや子どもたちへの注意勧告が始まります。
次第にマスコミなども取り上げ始め、大きな騒ぎとなったそうです。
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噂の沈静化
そんな口裂け女伝説ですが、意外にも1979年の8月には収束に向かったと言います。
これは夏休みに入り、噂を広める主体だった子どもたちの情報伝達手段が途絶えたからだとされています。
それから10年以上も後に産まれた私が知っているくらいなので、もっとロングスパンで噂されていたものだと思っていたのですが、実際には1年にも満たない出来事だったんですね。
逆を言えばそんな短い期間でここまで有名だということは、当時どれほど社会的に大きな話題だったのかが窺えます。
エピソード
そしてこの口裂け女騒動はもはや日本中を巻き込んでの社会問題となってしまいました。
事態が大きくなって保護者らからの問い合わせが相次いだ為、1979年3月に京都府の山科警察署がテレビに出演し、噂をデマだと否定。
1979年6月には姫路市で、口裂け女の格好で包丁を持って外を歩いていた女が、銃刀法違反の容疑で逮捕されたそうです。
女の目的は顔馴染みのお好み焼き屋さんへのいたずら目的だったとか。

口裂け女が出たとの通報を受け、神奈川県や福島県ではパトカーが出動。
北海道、埼玉で「口裂け女が事件を繰り返しながら街に近づいて来ている」という噂がたち、集団下校騒ぎにもなりました。
考察・まとめ
オカルト関連の話においてその存在の真偽を語ることは私は野暮だと思っています。
ただ、今回の口裂け女に関して言えば少し「子供の想像の域を出ないな」という印象が強いです。
というのも地域によって矛盾する特徴が多いですし(「血の目立つ白い服を着ている」「血の目立たない赤い服を着ている」、三姉妹の口の裂け方の理由など)、
「べっこう飴が好物なため投げるとそれを舐めている間に逃げることができる」や「豆腐を見せると逃げ出す」などというのもいくらなんでも稚拙すぎないかと思ってしまいました(笑)。
しかしながら逆に、「子どもの想像」だけで片付けられない点があります。
それは前の記事にも書いたように、時代を超えて江戸時代にも口が裂けた女の目撃情報があったことです。
大窪百人町(現・東京都新宿区)で、権助という十代後半の男が雨の中を傘をさして歩いていると、ずぶ濡れの女がいた。権助が傘に入るよう言うと、振り向いた女の顔は、口が耳まで裂けていた。権助は腰を抜かし、気がつけば老人のように歯が抜けた呆けた顔になり、言葉も話せなくなった挙句、息を引き取ったという[25]。
Wikipedia
吉原遊郭の廊下を歩いていた太夫を客が戯れに引き止めると、振り向いた太夫の顔は、口が耳まで裂けていた。客はそのまま気を失い、その遊郭へ行くことは二度となかったという[26]。
Wikipedia
ただそれは単に「口が裂けた女」であって、刃物で斬りつけてきたり、質問をしてくる現代の「口裂け女」ではありませんでした。
思い返せば口裂け女騒動のそもそものキッカケとなった1978年に岐阜県のお婆ちゃんが偶然見てしまったモノも同じく、単に「口が裂けた女」でした。
これは奇妙な偶然では無いでしょうか。
今みたいに簡単に情報にアクセス出来ない時代、田舎に住むこのお婆ちゃんが江戸時代のこの話を知っていて狂言を吐いたのでしょうか?
もしかすると本当にお婆ちゃんは自宅の庭の隅に佇む口が大きく裂けた女を見てしまったのでは・・・と恐ろしくなります。
つまり「口裂け女」は子どもの想像が創り出したキャラクターだとしても、「口が裂けた女」は妖怪や物怪の類として実在するのかもしれません。
もし不幸にもそれと出会ってしまった際には、是非ともご一報頂ければと思います。